NUMBER43 江戸時代のお化粧のトレンドは?NUMBER43 江戸時代のお化粧のトレンドは?

意外と現代のトレンドに似ています

「色の白いは七難隠す」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、この言葉、江戸時代ではよく知られた言葉なのです。江戸時代後期、初めて江戸で花開いた文化は、それまでの京都や大阪が中心の文化での厚塗り肌と違って、薄化粧で“白玉のようにキメ細かく、透き通る肌”がよいとされていました。この感覚は現代女性の美肌観ととても似ていますよね。

「銭湯」が他人を意識するきっかけに

この美肌観が広まったのには二つの理由があるのです。ひとつ目は、銭湯が普及して町人も銭湯に通うようになったということ。そうした中で、女性たちは肌のケアも入念にするようになります。当時は洗浄料とは別に、ぬかを木綿や絹の袋などに入れ、それを使って全身スキンケアをしていました。湯上がり後は、ぬかの成分で肌がしっとりして、艶が出るようになるのです。湯上がり後の、美しい肌を白粉(おしろい)で隠してしまうのはもったいないですよね。そこから「私はもともとこんなに美しい肌を持っている」という、素肌を自慢するような感覚が出てきましたし、「湯上り美人」という美意識も生まれました。

上方VS江戸の対抗意識が生んだ
新モード

ふたつ目は、元禄文化への対抗心です。当時、それまでの文化の中心は、貴族の文化をお手本にした京都や大阪が中心。飾り立ててコテコテで派手、白粉もしっかりと塗って、髪の毛も油たっぷりでがっちり結い、飾りもたくさん!このような京都、大阪の文化に対し、江戸の人たちは対抗心を燃やして、まったく別の新しい文化、「粋」の美意識を作っていきました。その流れから、白粉も素肌が見えるくらいの薄化粧が主流となったそうです。その方法として白粉を塗ったあと、あえてぬぐって素肌そのものが美しく見える演出をしたり、色味を薄くしたりする工夫をしていたそうです。また、ナチュラルメイクを映えさせるには、素肌を美しく保つ必要があるので、スキンケアも習慣化されていったのです。髪も油を少なくして結い、髪飾りも少なめに。江戸時代はこうして今に通じる美意識が確立された時代でした。

※参考文献:
石田かおり(2005)『京のはんなり江戸は粋』祥伝社
佐山半七丸著、高橋雅夫校注(1982)『都風俗化粧伝』平凡社

この記事の回答者

石田 かおり

駒沢女子大学教授
資生堂客員研究員

回答者プロフィール

お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。
博士(被服環境学)。専門は哲学(化粧の現象学・AIの現象学)。
1992年~2000年資生堂正社員。資生堂入社後、
哲学を応用した化粧文化の研究を始める。
2000年より駒沢女子大学専任教員・資生堂客員研究員に就任。
■代表著書
・『おしゃれの哲学』(1995年 理想社)
・『化粧せずには生きられない人間の歴史』(2000年 講談社現代新書)
・『化粧と人間』(2009年 法政大学出版局)

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