NUMBER54 資生堂のファンデはどうやって進化していったの?NUMBER54 資生堂のファンデはどうやって進化していったの?

時代のニーズを捉えた「肌づくり」とともに進化しました

白粉が変革を遂げた時代、明治から大正を経て、昭和の中ごろ、資生堂は、油性のスティックタイプや、リキッドタイプのファンデを続々と発売していきました。「ファンデーション」という名前が当たり前になり、肌づくりの必須アイテムとして、女性たちの化粧に浸透していきます。高度経済成長期のこの時代から、機能の進化と合わせて、女性たちのライフスタイルやニーズに合わせ、ファンデはさまざまなタイプに拡大をしていくのです。

「時代」を的確にキャッチし、
美をアップデート

1950年、油性化粧料のクリーム白粉「ゾートス フェイスチック」を発売。携帯できるスティックタイプの登場です。1951年には、リキッドタイプ液状油性化粧料「ファウンデーションL」を、続いて、1955年には、資生堂ではじめての固形型油性白粉「ドルックス フォンデタン」を発売。1960年には、「夏化粧」と呼ばれる、夏用の化粧品「資生堂ビューティケイク」が発売されました。汗ばむ夏でも化粧崩れを防ぐファンデで、スポンジに水を含ませて仕上げる方法が、暑い夏の時期に好評だったそうです。
1979年には、「ナツコ ビューティパクト」が大ブレイク。水あり水なしで使える両用パクトで、スピーディーに仕上げられると話題に。1970年代からは、機能性がアップした製品が多くなります。中でもワンプロセスで仕上げができるパウダーファンデは、働く女性を応援するアイテムとして、急速に広まっていくのです。また当時、色ムラ・くすみ対策の肌色補正と、しわ・たるみ防止の形態補正機能のニーズが高まりました。1980年代には、補正機能に加えて、紫外線防止効果のあるアイテムが活況を呈します。 その後、まるで素肌かのように見えるナチュラルメイクが人気に。光の特性を利用して、色彩や質感をコントロールする粉体や顔料の開発が進みます。これにより、透明感が際立つ機能を持ったファンデや、顔の立体感を演出するファンデが誕生。肌演出のバラエティは、女性たちのニーズに合わせて、2000年代にもますます広がりを見せていったのです。

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この記事の回答者

高野 ルリ子

株式会社資生堂
企業文化部
文化資産
マネジメントグループ
マネージャー
博士(学術)

回答者プロフィール

1992年資生堂入社。
千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程情報科学専攻・学術博士。
「化粧の心理、生理的効用、顔の認知や魅力に関する研究」を主軸とし、
心理学的視点に基づくメーキャップテクニックの解釈や理論化に長年従事。
近年は化粧文化研究に注力。日本顔学会会員、理事。日本心理学会、日本感性工学会会員。
2014年4月より筑波大学グローバル教育院客員准教授。

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